日本食を和食、日本式を和式と言うように日本は「和」の国と言われています。
昔は「倭」という字が使われ「倭国」と呼ばれ、「倭」は「わ」以外にも「やまと」とも読み、「大和」と呼ばれることもありました。
奈良時代中期頃から同音好字の「和」が使われるようになり、その後、「和」が主流になったようです。
一方で「日本」という国名は大化の改新で「天皇」という称号と共に使われるようになったようで、はじめは「やまと」と読んでいましたが、7世紀末頃に正式に国名が「日本」となり読み方も「にほん」が定着していったようです。
聖徳太子が制定した十七条憲法第一条に「和を以て貴しとなす」が登場しますが、それ以前に孔子の論語に「礼は之(これ)和を用って貴しと為す」と記載があります。
儒教でいう「和」とは、秩序を重んじる「礼」において、人々が互いに打ち解けて親しくすることの大切さを説いているそうです。
十七条憲法第一条に漢文で実際には「以和爲貴、無忤爲宗」までが一文で、「和を大切にするのが尊いことで、逆らうこと、争いを起こさないことを根本としましょう」という意味で、第一条は「上下関係にとらわれず話し合いができれば、何もかも成し遂げられるだろう」という意味の言葉で締めくくられています。
今の日本にこの精神があるでしょうか?
ほとんどの日本人は「和」の意味を皆が同じ事をすると誤解し、違う事をする人を「和」を乱すと捉えて同調圧力を掛けて従わせようとしますが、これは本来の「和」の精神と真逆の行為です。
色々な考えの人が居ても尊重しあって話し合いながら解決策を模索するのが本来の「和」の精神ですが、「和」の精神が無くなった日本は「和」の国も返上すべきではないでしょうか。